プラチナの語源とは?/錬金術とプラチナの関係は?

プラチナは捨てられていた?@

1532年、スペインのフランシスコ・ピサロは、
南米のペルーに上陸し、
インカ帝国を滅亡させましたが、

 

このとき、金銀の装飾品とともに、
大量のプラチナの装飾品が発見され略奪されました。

プラチナは捨てられていた?A

当時のヨーロッパでは、銀が珍重されていたことから、
プラチナを銀と勘違いして持ち去ったようです。

 

ところが、プラチナを持ち帰ってはみたものの、
プラチナは銀よりも融点が高いですから、
銀と同様の加工設備では溶かすことはできません。

 

そこで、プラチナは価値のない金属と評価され、
大量に捨てられてしまったのです。

 

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プラチナの語源とは?

プラチナは、その後も長期にわたり
価値を認められることはありませんでしたが、
18世紀になってようやく歴史上に現れます。

 

1753年、スペイン人の将校が、
コロンビアのピント川で
プラチナ鉱石を発見したからです。

 

ちなみに、このときの将校が、プラチナのことを
「ピント川の小粒の銀(プラタ・デル・ピント)」
と呼んだことがプラチナの語源となっています。

 

なお、コロンビアでは、プラチナに金メッキをした
偽造地金や偽造金貨が大量に作られていました。

錬金術とプラチナの関係は?

1700年代は、
ヨーロッパで錬金術が発達した時代と言われていますが、
この頃、鉛にプラチナを混ぜると
金(ゴールド)のように見えるということが発見されました。

 

これにより、プラチナは
錬金術師たちの研究材料となりました。

 

すると、この頃、
鉛とプラチナの合金で作られた
金(ゴールド)のニセモノも出回ったそうです。

 

そこで、スペイン政府は、このような事態を重く見て、
プラチナの採掘や輸入を禁止しました。

 

しかしながら、
ニセモノの原料としてのプラチナの密輸は、
後を絶たなかったそうです。

 

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