カルティエとプラチナの関係は?/日本にプラチナが伝わったのは?

プラチナの価値が見直されたのは?@

1750年頃、当時の科学者によって、
プラチナは、
銀とは違う元素であると認められたそうです。

 

それ以降、プラチナは
美しくて貴重なものであるという認識が、
ヨーロッパの王族を中心として広まっていったようです。

プラチナの価値が見直されたのは?A

つまり、プラチナは、
この頃になって、ようやく人間により
その特性を評価されるようになったということです。

 

かつては、白く輝く貴金属といったら
シルバーしかなかったのですが、
シルバーは硫化しやすく、
手入れを怠ると黒ずんでしまいがちでした。

 

これに対して、
プラチナの輝きは変わることがありません。

 

こうして、プラチナは精錬も加工も難しいですが、
高温に堪え、時間が経っても
常に変わらない存在感を保ち続けるその美しさは、
人々を魅了していくこととなります。

 

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カルティエとプラチナの関係は?

1800年代になって、
当時宝石商であった「カルティエ」の3代目である
ルイ・カルティエが、
初めてプラチナをアクセサリーに取り入れました。

 

その後もルイ・カルティエは、
プラチナを用いた宝飾品を次々と発表し、
成功を収めていきます。

 

なお、ルイ・カルティエは、
実用的な腕時計を世に送り出した
先駆者として知られていますが、

 

世界で最初に腕時計にプラチナを用いたのも
彼だったということです。

日本にプラチナが伝わったのはいつ頃?

日本にプラチナを用いた装飾品が
輸入されるようになったのは、明治時代のことでした。

 

当時の日本では、
金(ゴールド)よりも銀の方が人気があったことから、

 

銀のように白く輝く金属であるのに、
黒ずむことなくいつまでも輝き続けるプラチナは、
すぐに日本人の心を捉えたようです。

 

ちなみに、この頃、日本でも
貴金属の精密加工の技術が生まれていきました。

プラチナと皇室との関係は?

プラチナが日本の女性に人気がある要因のひとつとして、
皇室とのつながりも指摘されています。

 

というのは、日本で、いち早く
プラチナを愛好したのが皇室だったからです。

 

現在においても、皇室の方々が
公式行事の際に身に付けるアクセサリーは、
プラチナにダイヤモンドや真珠をあしらった
上品なものが多いようです。

 

このようなことが、日本女性のファッションに
大きな影響を及ぼしたのは言うまでもありません。

 

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